今日もひとり鉄道旅

蜂谷あす美

RAILROAD COLUM vol.05



旅の文筆家、蜂谷あす美が時刻表を携え、日本全国を鉄道でめぐる一人旅。

飯田線の秘境駅を訪れた旅の様子をお届けします。

人里離れた駅でノスタルジーに浸る夏の日の思い出。


飯田線観光の中心、天竜峡駅。秋は車窓に紅葉と渓谷美が楽しめる
飯田線観光の中心、天竜峡駅。秋は車窓に紅葉と渓谷美が楽しめる

 鉄道趣味分野の一つに「秘境駅」がある。 

秘境駅とは、おおざっぱにいうと「人里離れたところにあり、乗降客が極めて少なく、列車以外でのアクセスが極めて困難な駅」をさす。

2018年8月のこと。愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅を結ぶ、全長195.7kmの飯田線へと出かけた。天竜川に沿って走るこの路線は、渓谷や田園風景、それに南アルプスの山々など、変化に富む車窓を眺められる観光路線として名高く、また一方では秘境駅と呼ばれる駅が多数あることでも知られている。目的はもちろん後者、すなわち「秘境駅めぐり」だった。

中井侍駅の眼下には天竜川が流れる
中井侍駅の眼下には天竜川が流れる
最初の秘境駅、中井侍駅で下車
最初の秘境駅、中井侍駅で下車

集落のある秘境駅、中井侍

 

 8時11分、豊橋発天竜峡行きの列車は定刻通り発車した。2両編成の列車は通学客で混雑しており、立ち客もいた。ひと口に飯田線といっても、すべての区間が秘境なわけではない。

最初の下車が近づいてきたことから、用心深く、座席とトイレを何度か往復。秘境駅にはお手洗いがない。人がいないし最悪は…という考えではいたけれど。

 11時22分、中井侍駅で下車した。目の前には線路、そして豊かな水量をたたえる天竜川が見える。振り向くと、こちらは断崖、そしてその上に民家が1軒建っていた。なんだ、人が住んでいるのか。いうほど秘境駅でもないのだろうか。ホームの名所案内板「三十三体観世音菩薩」に誘われるまま、山側に続く日陰の林道を歩き始めた。じめじめとした雰囲気に「秘境駅っぽい!」と感動したところで視界が開け、山肌にへばりつくような茶畑が広がった。民家もぽつぽつあった。

 20分ほどで到着した目的地「三十三体観世音菩薩」は、せり出した岩を削って作られた棚に、仏像が並んでいた。解説板によれば、1905年に沢水が氾濫したことで26体が流失、その後再建されたとのこと。かつては飯田線も「雨で不通」が頻発していたし、ある意味では水とともに生きてきた路線だ。

 茶畑で作業をするおじいさん、おばあさんを横目に、そして民家から漏れ聞こえる甲子園中継をBGMに駅まで戻った。

中井侍駅からの通り。とても駅前とは思えない。
中井侍駅からの通り。とても駅前とは思えない。
駅からおよそ1 キロ、「三十三体観世音菩薩」に到着。
駅からおよそ1 キロ、「三十三体観世音菩薩」に到着。

中井侍は駅の利用者こそ皆無だが、知る人ぞ知る名茶の生産地。
中井侍は駅の利用者こそ皆無だが、知る人ぞ知る名茶の生産地。

秘境駅の代表格、小和田

 

 13時42分、次なる目的地、小和田駅に到着。

駅舎入り口には「慶祝 花嫁号 小和田発ラブストーリー」と書かれたヘッドマークが掲げられていた。正式な読み方は「こわだ」だが、1993年に当時の皇太子殿下と雅子さまがご成婚された際、雅子さまの旧姓「小和田(おわだ)」と同じ漢字であったことから、恋愛成就を求めるカップルが殺到、臨時列車も運行されるほどだった。ただし、その熱狂は30年近く前のこと。駅舎内にかつて有人駅だったことを伺わせる木枠の窓口があるものの、カーテンで閉ざされており、公衆電話のシールはあっても本体はない。道なりに下れば、左手に「小和田発ラブストーリー 愛 お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれた朽ちたベンチ、さらにその先には、製茶工場と民家の廃屋、そして錆びたオート三輪のミゼットがあらわれる。小和田にもかつて集落があったが、1956年完成の佐久間ダムによって水没してしまったようだ。廃屋を覗くと、時間をとどめるように麦わら帽子がかけられていた。

 駅のほうに少し戻る。「小和田池之神社5分」と「塩沢集落1時間」の案内版の前で思案し、すぐにたどり着けそうな小和田池之神社へ向かってみる。ところが歩けども神社はなく、そして道も途絶えた。しょうがないので山の斜面に歩みを進めること15分、質素なお社にたどり着いた。周囲には一升瓶がごろごろと打ち捨てられていた。今度は、塩沢集落方面へ。単調な山道の先に、民家が見えてきた。先ほどの製茶工場にくらべると新しい。

2010年ごろまでは夫婦が住んでいたそうだ。人はおらずとも、その名残を感じられるのが秘境駅めぐりの魅力なのかもしれない。

 この日は、天竜峡駅近くの民宿に泊まり、名物の鯉料理に舌鼓を打った。さらに翌日もいくつか秘境駅をめぐったのち、帰路へ。出かけるまでは、「秘境」という言葉に引きずられ不安しかなかったものの、振り返ってみれば駅ごとに大きく異なる表情に触れる旅だった。

 なお冒頭言及したように秘境駅はお手洗いがないことに加えて、涼む場所もない。お出かけされる場合は秋、まさにこれからのシーズンを強く推奨する。

 

(文・写真 蜂谷あす美)

臨時列車で使用したと思われるヘッドマーク
臨時列車で使用したと思われるヘッドマーク
「愛」が大きくデザインされた駅前広場のベンチ
「愛」が大きくデザインされた駅前広場のベンチ
かつてご成婚ブームに沸いた小和田駅外観
かつてご成婚ブームに沸いた小和田駅外観
打ち捨てられたオート三輪のミゼット。
打ち捨てられたオート三輪のミゼット。